Passage to Colosseo。
コロッセオへと続く道、といった意味合いでしょうか。これはグランツーリスモでイタリア車限定だったかなんだかのレース名でした。当時とてもかっこよく感じたので今でも覚えています。
コロッセオのColosseoはColosseumのイタリア語なら、Passageもpassaggioなのでは?と思ったりもしますが、イタリア観光名所の呼称として”コロッセオ“と置いているのか。などとどうでもいいことを思ったりもします。
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■人生まだ1/3。もっと達成すべきことがあるのではないか。
最近はなんだか以前ほど人生にガツガツした上昇志向感や達成感がなく、なんだか現状を維持できればいいような保身的な考えをしているように思います。それは現状に満足しているからなんじゃないか、とも考えたのですがちょっと違う気がします。
今この瞬間はわりと恵まれた環境にいると思っていて、言い方を変えると自分の身の丈以上に過大評価されているような感覚です。つまり今は”オイシイ状態”にあると感じると、それを維持することに力を使ってしまっているわけです。それでは更なる高みに登っていくことはできないでしょう。
それに子供が2人できたことで人生のリソース配分が変わってしまったこともあります。これも保守的になった大きな要因と言えるでしょう。子供は本当に可愛いですし、大きな活力になります。めちゃめちゃ大きな活力になります。子供用のフェラーリから買うことにしましょうか・・・笑
いやべつに今の生活を守ることが悪いことだとは言わないです。元々は
「若いうちにシンドくても早く高みを目指し、高い水準になったらサッサと落ち着いて優雅に過ごす」
というコンセプトで生活してきたので、それに対しては順調と言えます。ただ、まだもうちょっと頑張ってもいいかなと思う年齢なのと、ひとつ登ればさらにひとつ上の世界に憧れるものなのですね。結局人は無い物ねだりであり、欲に際限はないということです。仏教であれば怒られてしまいそうな清貧のなさです。
■一般人には理解できないかもしれないが、僕はクルマで自分の到達点を測る。
僕は元々新卒の就職先に、
「好きなクルマが買える給料が出そうなところ」
を選んだ人間なので、ここまでクルマを購入することがひとつのマイルストーンというか、それを目標・達成感として人生の進捗を測ってきたように思います。そしてあの頃の目標感は今思うと非常に強く自分を突き動かしていたように思います。
でも最近は目標がない。むしろ家を買わなきゃなーとか、家族の出費がいろいろあるなーとか、クルマで目標を持つことすらしなくなっていました。というかさすがにクルマをこれだけ買って家を買っていないことへの周囲・家族からの指摘も強く、とうとう家を買おうとしているのですが、それにすら金銭的に苦労している状況です。笑
それでも仕事は淡々と進んでいっていますが、確かに以前ほどのガツガツ感や張り合いはないのかもしれません。以前は仕事そのものに加えて、クルマを買うという2大モチベーションがあったからでしょうか。
だから次のステージへ向かうための目標を設定してみようかと思います。昔は「これは手が届くのか!?そんなん買っちゃっていいのか!?」みたいなかなり背伸びした目標でしたし、逆にそれが自分の成長を促していた気がします。なのであえて無理をした目標を立てた方が、達成した時にまた以前のような”世界が変わった感”を味わえるかもしれないと思いました。
それがPassage to Closseo。目標はフェラーリでしょうか。あまりにわかりやすいですがやはり良いクルマだなと思うわけです。フェラーリを目標にするかはわかりませんが、目標を立てていきたいなと思う今日この頃です。
そんな私は今SEIYUで買ったイカソーメンと缶レモンサワーをすすりながらこの記事を書いているのですが・・・
家買ったら、それを糧に一生懸命になれますよ。まぁローン地獄に苦しむことですが。。。笑
車といえば・・・今月の25日に赤いワーゲンバスが納車されることになりましたよぉーwww